Jeudi 12 juin 4 12 /06 /Juin 06:14

かくてわが天台宗の盛んな頃には、叡山に三千坊あったと言われ、永保元年三井寺焼打ちの際には、災いに罹った僧坊の数だけでも四百二十一ヶ所の多きに及ん だとも言われたほどに、諸大寺に坊の数は多かった。そしてこれら諸坊の主とあるものすなわち坊主である。かくてその坊の名をとって、ただちに坊主の名に呼 び、はては坊主ならぬものでも、名の下に「坊」の語を添えて、何々坊と呼ぶこともできてきた。けだしそれは坊の語の転用である。『吾妻鏡』文治二年三月の 条に、 召静女、以俊兼・盛時等、被尋問‐予州義経事。先日逗留吉野山之由申之。太以不被信用者。静申云、非山中、当山僧坊也。而依聞大衆蜂起事、自其所、以山臥 之姿、称可入大峯之由入山、件坊主僧送之。――重被尋坊主僧名。申忘却之由。――  また、同書文治元年十一月の条にも、 予州凌吉野山深雪、潜向多武峯。是為祈大織冠御影云云。到着之所者南院内藤室。其坊主号十字坊之悪僧也。  などみえている坊主は、いずれも文字の如くその坊の主であらねばならぬ。『続古事談』に、奈良に説法をよくする僧綱が賊にあった話があるが、それにはそ の僧のことを房主と書いてある。房は室で、坊とは違う。僧侶名宛ての文書に、何々御房とか、何某御房御中などとあるのは、今の手紙に侍者とか、侍者御中と か書くのと同じことで、寺の一室におって住持たる高僧の左右に侍する低い地位の僧侶を指したものである。右に引いた『続古事談』の房主は、実は坊主の書き 誤まりであろうと察せられる。飛蚊症 紹介

Par umini
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