海に千年河に千年

 蓮如上人の御文章をみると、坊主とか、大坊主とか、多屋坊主とかの名称が多くみえる。これは必ずしも一坊の主とのみ限ったのではないかもしれぬが、決し て侮蔑の意味を含んだのではない。昨年の夏遠州平田寺に詣でて、同寺所蔵の古文書を拝見している中に、永禄四年今川氏真署名の文書に、「諸末寺の塔主看院 等、本寺に断らずして坊主と号し、恣に居住するを得ず」という一節があった。これは坊主の語の正しい用い方に従わしめたものであるが、しかもその裏面に は、当時すでに坊主ならぬものが、猥りに坊主と称していたことを示しているのである。  坊主の称がますます坊主ならぬ者に濫用せられるようになっては、自ずからその語が賤しくなる。はては特殊の賤業者にまで多く用いられることになる。殿中 にあって将軍大名の雑役に服するものも、遊里にあって嫖客の興を助くるものも、みな坊主をもって呼ばれることとなる。ここに至っては真の坊主のみでなく、 坊主ならぬただの僧侶達までも、坊主の尊称をもって呼ばれるのを忌がることとなる。その代りにその賤しい意味となった坊主の語は、さらに進んで賤者を侮蔑 する場合に用いられることとなり、ついには一坊住職たる真の坊主はもとより、ただの僧侶を呼ぶにも坊主の語を避けるような現勢となってしまった。(『民族 と歴史』第三巻第五号〈俗法師考余編〉=一九二〇年四月) 薬学生の質問掲示板 定期試験・進級・CBT・薬剤師国家試験対策

Jeu 12 jun 2014 Aucun commentaire